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大阪高等裁判所 昭和30年(ネ)898号 判決

控訴人 浅田敬太郎

被控訴人 山岡はる 外四名

主文

原判決を取消す。

被控訴人の原審請求はこれを棄却する。

控訴人は被控訴人山岡はるに対して金九百二十六円、被控訴人山岡慶子、同山岡一善、同山岡玉幼子、同山岡又己に対して、各金四百六十二円宛を、それぞれ支払はねばならぬ。

被控訴人のその余の当審請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。原判決主文第一項を左のとおり変更する。控訴人は被控訴人等に対して、別紙目録記載の家屋を明渡し、且被控訴人山岡はるに対して金五百円、被控訴人山岡慶子、同山岡一善、同山岡玉幼子、同山岡又己に対して、各金二百五十円宛及昭和二十九年二月一日以降右明渡済に至るまで、被控訴人山岡はるに対して一ケ月金二百六十円、被控訴人山岡慶子、同山岡一善、同山岡玉幼子、同山岡又己に対して、各一ケ月金百三十円の割合による金員を支払はねばならね。」旨の判決を求め、控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。」旨の判決を求めた。

被控訴代理人は請求の原因として「被控訴人山岡はるの夫、被控訴人山岡慶子、同一善、同玉幼子、同又己の父である亡山岡仁郎は、控訴人に対して、その所有にかかる別紙目録記載の家屋を賃貸していたところ、昭和二十三年十一月二日同人死亡により、その妻竝に子である被控訴人等において遺産を共同相続し、右家屋の賃貸人たる地位を承継した。而して右家屋の賃料は一ケ月金五百円であつたが、昭和二十九年二月一日以降は一ケ月金七百八十円の定めであつたところ、控訴人は、賃貸人たる被控訴人等に無断で、右家屋の二階三畳一室を訴外橋本栄次郎に一ケ月金三百円の賃料を徴して賃貸していることが、昭和二十六年十二月頃に判明した。よつて被控訴人等は控訴人等に対し再三に亘つて家屋の明渡を請求し、或は調停申立をしたけれども、控訴人は更にこれに応じる色がないから、被控訴人は、昭和二十九年三月二十一日控訴人に到達した本件訴状副本を以て右賃貸借解除の意思表示をした。よつて控訴人に対して所有権に基いて右家屋の明渡を求める。なお控訴人は被控訴人等に対して、昭和二十七年三、四月及八月分の各一ケ月金五百円の割合による賃料合計金千五百円、竝に昭和二十九年二月一日より前記賃貸借解除の日である昭和二十九年三月二十一日迄一ケ月金七百八十円の割合による賃料合計金千三百八円の支払をせず、又前記解除後も引続き右家屋に不法占拠することによつて、被控訴人等に対し右最終賃料と同額の割合による損害をこうむらせているから、被控訴人等は各自その相続分の割合に応じて、被控訴人山岡はるに対しては金五百円その余の被控訴人に対しては各金二百五十円宛、竝に昭和二十九年二月一日より前記解除の日である昭和二十九年三月二十一日迄の分は賃料として、又同月二十二日より前記家屋明渡ずみに至るまでの分は損害金として、被控訴人山岡はるに対しては一ケ月金二百六十円、その余の被控訴人に対しては各一ケ月金百三十円の割合による金員の支払を求める。なお右昭和二十九年三、四月分及八月分の賃料、竝に昭和二十九年二月一日以降同年三月二十一日迄の賃料竝に損害金は、当審において請求を拡張してこれが支払を求めるものである。右に反する控訴人の主張事実はこれを争う。控訴人は、控訴人と橋本栄次郎とは親族関係にあるが故に、不法転貸借にはならないと主張するけれども、同人は控訴人と世帯を別にし、且控訴人は、名目はともあれ賃料類似の金員を徴して二階三畳を同人に使用せしめていたのであるから、被控訴人等において控訴人の右不信行為を理由として賃貸借を解除するに足り、又控訴人は橋本栄次郎は昭和二十八年十二月末頃に他に転出しているから解除原因は治癒せられたと主張するけれども、一度不法転貸借の事実が存在した以上は、当事者間の信頼関係は全く消滅するに至るのであるから、その後において転借人が現住しなくなつたとしても、右の事実は契約の解除に何等の影響を及ぼすものではなく、被控訴人等においてこれを解除し得ることは当然である。又控訴人が本件家屋の賃料を供託しているとしても、右供託は控訴人において、賃料の現実の提供をなさず、又被控訴人等においてこれが受領を拒絶した事実なきにかかわらずなされたものであるから、弁済供託の効力なきものである。

尚被控訴人等は、本件家屋明渡請求に関する予備的請求原因として、左記正当事由による解約申入によつて賃貸借が終了したことを主張する。即ち被控訴人等の現住家屋は中二階建家屋であるが、階下は八畳六畳の二室に過ぎず、階上は京都で俗に「ムシコ」と称する中二階で、物置に使用し得るも居間に適せず、従つて被控訴人等の家族五人は右八畳六畳の二室に居住しているところ、被控訴人山岡慶子は齢二十六歳で近く婿養子を迎えることに婚約成立しているのであつて、右結婚の上は従来の家屋に同居することは到底不可能であるから、控訴人より本件家屋の明渡を受けてこれに居住することが必要であり、一方控訴人は、前記無断転貸の事実に加えて、何時の頃よりかは不明であるが、被控訴人等が本件家屋の所有権を取得した後、被控訴人等に無断で本件家屋の奥八畳一室の床を取払つて土間とし、ここに織機を据附けて、妻及他人をして製織に従事せしめている次第である。而して被控訴人等は、本訴の提起前、控訴人を相手方として京都簡易裁判所に調停申立をなし、調停委員の熱心な勧告に応じて明渡を五年間猶予することとして、殆んど調停妥結に至つたのであるが、当日出頭していた控訴人代理人が、控訴人の代理委任状を持参していなかつたために、続行となつたところ、次回期日には控訴人は出頭せず、又代理人は委任状を持参せず、右調停に異議を唱えてこれを不成立に了らしめた経過であつて、その不誠意悪質の賃借人であることは明白である。而して被控訴人等は、右調停の際、右の自己使用の必要を理由として賃貸借解約の申入をなしたから(なお念のために、昭和三十一年九月六日附書面を以ても更に解約申入をしてある。)以後六ケ月の経過と共に賃貸借は終了した。よつて控訴人に対して本件家屋の明渡を求める。」と述べ、

控訴代理人は答弁として「被控訴人等がその主張家屋を所有し控訴人が、被控訴人等の先代山岡仁郎以来右家屋を賃借し、昭和二十九年二月一日以降の賃料が一ケ月金七百八十円の定であること、訴外橋本栄次郎が右家屋の二階三畳一室に一時居住したこと、控訴人の妻が右家屋の奥土間に織機を据えて賃機織りに従事していること、竝に被控訴人等より、その主張するとおりの賃貸借解約の書面を受取つたことはこれを認めるが、被控訴人等のその余の主張事実は争う。控訴人が橋本栄次郎を同居せしめたのは、左記の事情によるものであるから、賃貸解除の原因たる不信行為ということはできない。即ち同人は、控訴人の母小梅の弟で控訴人の叔父に当り、元来は西陣織の織職であつて、子供はあるけれども、長男は旅役者で居住定まらず、その他の子供とも若い時から折合が悪いのに加え、右子供等はいづれも栄次郎を扶養する能力がないために、齢既に七十五六歳にも達しながら、自ら織職として生活の資を稼ぎつつ子供等の家を転々とたらい廻しにされて来たものであるが、高齢のために、子供等の居住する大阪市方面では職を得ることができなくなつたために、かつて居住していた京都に職を求め、姉小梅をたよつて来たのである。そして、その使用していた三畳一室といつても、通り庭の上にある屋根裏の物置で、元来人の居住の用に供し得る室ではなく、これにゴザを敷き梯子をかけて寝ぐらに当てていたに過ぎぬのであつて、勿論控訴人は不当な転貸料を取つて右三畳一室を転貸していたのではなく、単に栄次郎が老姉小梅に対する謝礼の心積いから月額二三百円程度の小遣を任意に与えていた関係であつて、これさえ控訴人の妻子は気の毒に思つて、その炊事を共にし副食物を分つていた関係であるが、被控訴人等から抗議を受けるに及んで、同人は本訴提起前の昭和二十八年十二月末頃右三畳一室から退去していた次第であるから、仮に賃貸借解除の原因があつたとしても、右解除原因は本訴提起当時には既に治癒されていたものである。なお控訴人は、昭和二十六年七月分以降の賃料は全部供託しているから賃料債務の遅滞はない。

次に、被控訴人が予備的請求原因として主張する賃貸借解約の申入は、左記の事情から見て正当の事由なきものである。即ち、控訴人は、病弱且てんかんの症状あるために生業に就くことを得ず、その妻の営む賃機織りの収入、竝に十八歳及十七歳の未成年の子の得る僅な賃料収入を合せて辛うじて生計を支え、且十五歳十四歳九歳の子女を扶養しているのであつて、本件家屋を明渡して、他に賃機織りを営むに適する家屋を求めるに要する資金もなく、又控訴人は既に四十数年来本件家屋に居住すると共に、奥土間に織機を据えて賃機織りをしているのであるが、被控訴人等の先代山岡仁郎は、約二十年以前に右家屋の所有権を取得して以来これについて何等の異議なく、黙認して来たものであつて、仮に右土間を原状の居室に回復するとしても、その回復は極めて容易である。一方、その間、控訴人等は畳建具等の造作は勿論、屋根及垣の修繕をし、又入口戸ガス設備等を取付けて来たものである。以上の次第であるから、被控訴人等の解約申入は正当事由なきものである。」と述べた。

証拠について、被控訴代理人は、甲第一、二ま号証を提出し、原審証人山岡松雄、同伊藤久子、同早田ユキ、当審証人小林作次、同堀豊蔵、の各証言、竝に原審及当審における被控訴人山岡はる本人訊問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めると述べ、控訴代理人は乙第一ないし五号証を提出し、原審証人石田寿信、当審証人浅田みつえ、同橋本金七、同橋本千代蔵の各証言、竝に原審における控訴人本人尋問の結果、竝に当審検証の結果を援用し、甲第一号証は郵便官署の作成部分の成立を認め、その余の部分は不知、甲第二号証の成立を認めると述べた。

理由

被控訴人が本件家屋を所有し、控訴人が被控訴人等の先代以来右家屋を賃借し、昭和二十九年二月一日以降の賃料が一ケ月金七百八十円の定であること、竝に訴外橋本栄次郎が右家屋の二階三畳一室に一時居住した事実は当事者間に争がなく、被控訴人は、右は賃貸借解除の原因たる無断転貸に当ると主張するから、この点について判断するに、原審証人山岡松雄、同石田寿信、当審証人浅田みつえ、同橋本金七、同橋本千代蔵の各証言竝に原審及当審における控訴人本人尋問の結果を綜合すると、橋本栄次郎は控訴人の亡母小梅の弟であつて、控訴人の叔父に当ること、竝に同人は若い時から西陣の織職であつて、子供はあつたが、早くから妻子と離別して極道の生活を営み妻子の養育を顧みなかつたために、老境に至つて、子供等はいづれも栄次郎に対して親子の情を抱かず、又トラツクの運転等の労働に従事し栄次郎を扶養する余力もないために、同人は既に齢七十歳を超えるにかかわらず、織職として自ら僅な生計の資を稼ぎながら子供等の家を転々とたらい廻しにされてその日その日を凌いでいたが、高齢のために子供等の居る大阪市では職を得ることができなくなり、やむなく京都市に居る姉小梅(控訴人の母)を頼つて本件家屋に寄偶するに至つたのであるが、その居住に充てた二階三畳一室というのは、通り土間に設けられた中二階の一室であつて、梯子をかけて出入し本来は物置に使用され人の居住に適しない部分であつたこと、竝に控訴人方では、奥土間に織機を据えて賃機織りを営んでいたので、右栄次郎は寄寓以来、当初は右控訴人方の仕事を手伝つて賃金を貰つていたけれども、間もなく西陣の織屋に仕事を求めて僅な賃金を得るようになると共に、いさゝか寄寓の謝礼に代えて、姉小梅の小遣として月額三百円程度の金員を渡して両三年を経過していたのであるが、偶々被控訴人等から右栄次郎の同居について異議が出るに及んで、同人(当時七十五歳位)は本訴提起前の昭和二十八年十二月頃、再び大阪の子供等を頼つて転出し、その後間もなく死亡した経過であつて、本訴提起当時においては本件家屋に居住していなかつた事実を認めることができるのであつて、他に以上の認定を左右するに足る証拠はない。そこで以上の事実は、はたして民法第六一二条によつて賃貸借の解除原因とされた転貸に当るか、否かを、考えて見るのに、およそ生活力のない幼児老人等に対しては、親族相寄つてこれが保護に当ることは人間の至情であつて、民法第八七七条以下の扶養義務に関する規定もまたかかる人倫の命じるところを規定したに外ならず、殊に我国の社会生活においては、かゝる扶養義務の不言不知の間における実行によつて、幾多の社会問題が解決されており、従つてかかる親族相互扶助は我国の社会的習俗に探く根ざしたものであることは当裁判所に顕著なところである。ところで民法第六一二条は、元来家主と賃借人との間の信頼関係を基底とする賃貸借において、かゝる信頼関係の基底を破壊するような転貸行為があるときは、これを以て賃貸借解除の原因となし得ることを明定したのであるが、右の立法趣旨から考察するときは、たとい形式上は転貸借に類する外形があつても、一切の事情を斟酌して、それが意識的にしろ無意識的にしろ、親族扶養義務の実行としてなされ、且その範囲を超えぬような場合は、民法第六一二条所定の解除原因たる転貸には当らぬものと解するを相当とするところ、前記認定の一切の事情を斟酌するに、控訴人が橋本栄次郎に、前記のように本来は物置である二階三畳一室を使用せしめたことは、右のような親族相互扶助のためにし、且その範囲を超えぬものというべく、尤も同人は控訴人の母小梅に対して、月額三百円程度の小遣を供与していたことは前認定のとおりであるけれども、これは同人が控訴人方に世話になる心苦しさから、自己の稼ぎの中から任意提供していたものと認められ、この点をとらえて、控訴人が賃料を受領していたものと云うには足りぬから、右橋本栄次郎の居住事実を以て、本件賃貸借解除の原因とする被控訴人等の主張は失当である。次に、被控訴人等は家屋明渡諸求に関する予備的請求原因として、正当事由による解約申入をなしたことを主張するのでこの点について判断するに、当審検証の結果によると、被控訴人等の現住家屋も中二階建家屋であるが、その中二階が本来人の居住に適しないことは、本件家屋と同様であり、従つて被控訴人等の家族五人は、階下の八畳六畳二室に居住し、その居住面積としては狭隘に過ぎる点が窺はれるし、又当審における被控訴人山岡はる本人尋問の結果によると、被控訴人山岡慶子は二十六歳で、警察官某と婚約成立し、その結婚の上は現在の居住面積のまゝでは同居に差支えることもこれを認めることができるが、右検証の結果によると、被控訴人等の居住家屋には可成り広い裏庭があることが認められ、従つて前記山岡慶子の結婚後の同居が是非とも必要であるとしても、右裏庭に一室を増築するなど適宜の方法を講ずれば、右同居の問題もこれを解決するに困難でないことが認めらる。一方控訴人側の事情について見るに、当審証人浅田みつえの証言、竝に当審検証の結果を綜合すると、控訴人方は妻子六人を合せて七人家族であつて、本件家屋の階下二室(三畳、四畳半)及階上二室(同上)に居住しているところ、控訴人自身は病弱且てんかんの症状があるために、業務に従事することを得ず、僅にその妻みつえが営む賃機織りの仕事による収入、竝に十八歳竝に十七歳の未成年の子が他に雇はれて得る賃料を合せて生計を支えている有様であつて、もとより他に適当な居住家屋を求めるに必要な貯えもなく、又控訴人方が本件家屋の奥土間を設けこれに織機を据付けたのは四十数年以前、本件家屋の新築後間もない頃のことであつて、控訴人方では以来右家屋において賃機織業を営んでいたところ、約二十年以前、被控訴人先代山岡仁郎においてこれを買受けた経過であつて、被控訴人等が右家屋の所有権を取得した後に控訴人が無断で奥座敷を土間に改造しこれに織機を据付けた関係でないことはもとより、前家主、竝に山岡仁郎及びこれを承継した被控訴人等においても、本件紛争に至る迄は、控訴人方の右織機の据付けについて何等異議を唱えるところがなかつた事実、竝に先に被控訴人が控訴人を相手方として京都簡易裁判所に家屋明渡調停申立をしたのに対して、控訴人の妻浅田みつえが控訴人の代理人として出頭して相手方と折衝した結果、同人は、一旦は被控訴人側の提示した五ケ年の猶予期間を附した家屋明渡の調停に同意するに傾いたけれども、家族の反対により再考した結果これを拒絶するに至つたのであるが、その間別段に背信的な術策を用いて調停を不成立ならしめた経過でもないことを認めることができるのであつて、以上認定の事実に、前認定にかかる橋本栄次郎の一時同居の事実を加え、これを前記被控訴人側の事情と彼此対照するに、被控訴人側には未だ借家法第一条の二所定の賃貸借解除に関する正当事由はないものとせねばならぬのであつて、他に以上の認定を左右するに足る証拠はない。して見ると、控訴人に対して、本件家屋の明渡を求める被控訴人等の原審請求は失当としてこれを棄却すべきであるにかかわらず、これを認容した原判決は失当であるからこれを取消さねばならぬ。

次に被控訴人等は当審において請求を拡張して、昭和二十七年三、四月分及八月分の一ケ月金五百円の割合による延滞賃料、竝に昭和二十九年二月一日以降前記無断転貸を理由とする賃貸借解除がなされたと主張する昭和二十九年三月二十一日迄の分は延滞賃料として、又その翌日以降の分は損害金として、各一ケ月金八百七十円の割合による金員の支払を求めているから、この点について判断するに、本件家屋の賃貸借が終了したとする被控訴人等の主張が失当であることが前段認定のとおりである以上は、これを前提とする損害金の請求が失当であることは勿論である。そこで延滞賃料の請求について判断するに、成立について当事者間に争のない乙第一ないし五号証によると、控訴人は、昭和二十七年一月分以降同年八月分迄は一ケ月金五百円の割合による賃料を弁済供託し、(但し乙第二号証によると同年六月分賃料として供託し、更に乙第三号証によると同年六、七月分賃料として供託していることが認められるが、右乙第三号証に六月分とあるは七月分、七月分とあるは八月分の誤記と認められる。)更に同年九月分以降昭和二十八年一月分に至るまでは一ケ月金七百八十円の割合による賃料を弁済供託していることが認められるけれども、控訴人においてその余の賃料の弁済供託をしている事実、竝に右各弁済供託は、控訴人において賃料債務の現実の弁済提供をなし、被控訴人等においてこれが受領を拒絶した上でなされたことを認め得る証拠は全くないから、右供託は適法な弁済供託としての効力がないものといわねばならぬ。して見ると、控訴人は、被控訴人等の請求する昭和二十七年三、四月分及八月分竝に昭和二十九年二月一日以降同年三月二十一日(本件訴状副本送達の日)に至る迄の賃料を支払うべき義務があるのであつて、その昭和二十九年二月一日以降の賃料が一ケ月金七百八十円の定めであることについては当事者間に争がなく、被控訴人等は、その昭和二十七年中における賃料は一ケ月金五百円であつたと主張するけれども、右の事実はこれを認めるに足る証拠がなく、却つて郵便官署の作成部分の成立については当事者間に争がなく、その余の部分も当審証人山岡はるの証言により成立を認め得る甲第一号証によると、昭和二十六、七年当時における賃料額は一ケ月金四百八十九円であつたことが認められるから、結局控訴人は、昭和二十七年三、四月分竝に八月分としては一ケ月金四百八十九円の割合による金員を、又昭和二十九年二月一日以降三月二十一日迄の分としては一ケ月金七百八十円の割合による金員を支払うべき義務があるとしなければならぬ。ところで、被控訴人山岡はるは、亡山岡仁郎の妻その余の被控訴人はその子として、昭和二十三年十一月二日右仁郎の遺産を共同相続し、よつて本件家屋は、右被控訴人等の相続分に応じて被控訴人等の共有となるに至つたことは控訴人の明に争はぬところであつて、他に別異に解すべき何等の資料のない本件において、被控訴人等は、本件家屋賃料についてもまた右相続分の割合に応じて権利を有するものと認めるを相当とするから、被控訴人山岡はるに対しては金九百二十六円(但し昭和二十七年三、四月分及八月分については合計金四百八十九円、昭和二十九年二月一日以降同年三月二十一日迄の分については金四百三十六円を、その余の被控訴人等に対しては各金四百六十二円(但し昭和二十七年三、四月分及八月分については合計金二百四十四円、昭和二十九年二月一日以降同年三月二十一日迄の分については金二百十八円)の金員の支払を求める限度において、被控訴人等の延滞賃料の請求は理由があるけれども、そのこれを超える部分は理由がないとしなければならぬ。よつて被控訴人等が、当審において請求を拡張して、控訴人に対してそれぞれ金員の支払を求める請求は、右理由のある限度においてこれを認容し、その余の部分は失当としてこれを棄却しなければならぬ。

よつて民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条、第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中正雄 観田七郎 河野春吉)

目録

京都市上京区御前通下立売上る天満町三百二十四番地の一、地上、

一、木造瓦葺二階建家屋 建坪延十四坪三合

附属

一、木造瓦葺平家建便所 建坪五合

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